虹のたもとへ



 荒々しく吹き続ける風に髪の毛を抑えながら菊はギルベルトと共に帰路についていた。
 普段ならば空を自由に漂っている雲は風に煽られまるで競泳をしているかのように空を泳いでいってしまう。
 歩くたびに雲の色も暗くなり、鈍色の雲に辺りが覆われたころ二人は公園の東屋に辿り着くことが出来た。

「けっこう降りそうだな……」
「夕立ならすぐに天気も回復してくれると思うんですが、どうでしょうか」

 見上げる空は今にも雷がなりそうな雰囲気を見せ、二人の不安を煽っていた。
 幸いなことに東屋にたどり着いた途端に雨が降り始めたため、二人は濡れることはなかった。
 けれど空から落ちてくる雨粒は意外と大きく、本格的に降り始めた雨は地面に叩きつけられるかのようだった。

 雨が降ることにより気温は下がったが、逆に湿度は高くなりむわりとした空気が二人を包み込む。
 そんな中、ふとギルベルトはある一点に視線を留め、菊からの問いかけにも答えなくなった。
 不思議に思い、ギルベルト君? と問いかけようとした菊が見たのは目を見開き顔を歪ませたギルベルトだった。
 それはまるで弾丸の用に土砂降りの雨の中を走り始めて――。

「――ギルベルト君っ!?」

 咄嗟のことで反応が遅れた菊もまた東屋を飛び出し、ギルベルトの後を追った。
 まるで弾丸のように走りはじめたギルベルトはやがて雨の中立ち止まる。
 身体能力の差をこんなところで実感しながらも菊はギルベルトへと近寄り、そして顔を顰め口を手で抑えた。

 ギルベルトと菊の二人が目にしているのは車に惹かれてしまった猫だった。
 生粋の野良猫で、公園を根城とし餌をくれる人にすら懐かないで有名な子だった。
 けれど、公園で昼寝をしてたギルベルトにはなぜか懐き、菊にも懐いてくれた子だった。
 今週の休みに二人で捕まえて、里親を探そう――と決めたばかりだった。

 言葉にならない衝動がギルベルトを突き動かし獣のような咆哮を叫ぶ。
 空を仰ぎ、苦しい感情を押しこむように胸の前でぎゅっと手を握り締めながら。

 ――ドンっ!

 強く、ギルベルトは拳で己の胸を叩いた。
 やりきれない感情を制御するために、叫びたい気持ちをぐっと我慢するためだけに――心は泣いたまま。

「なぁ菊……。こいつと出会った木の根元に埋めても平気かな?」
「大丈夫だと思いますよ……」
「そうか――」

 ギルベルトはポケットの中からハンカチを取り出し、それで猫の亡骸を包み込んだ。
 小さく、小さく土砂降りの雨に掻き消えそうなくらいの声で今度生まれたときは幸せになるんだぞ――と言いながら。

 雨に濡れて柔らかくなった土を二人は無言のまま掘った。
 ギルベルトの頬を伝うモノは雨なのか、涙なのか菊には分からない。
 けれどきっと、きっと――そのどちらもなのだと菊は思った。
 菊自身、雨と涙で顔がくしゃくしゃなのだから。

「……菊、泣くな」
「泣いてませんよ。これは雨です」
「東屋の中に雨なんか降ってねーよ」

 盛り上げた土に後ろ髪を惹かれながら、二人は公園内のトイレで手を洗った。
 荷物が置きっぱなしになっている東屋へと戻ろうと歩き始めたギルベルトと菊は自然と互いの利き手を繋いだ。
 ぎゅっと握りしめて、互いの体温を交換するかのように。

「――俺さ、やっぱり獣医目指すわ」

 東屋のベンチに座り込みギルベルトにしては珍しく、菊へと視線を合わせないままぽつりと呟いた。
 ちらりとギルベルトの顔を盗み見れば歪み、泣きそうで――思わず菊は己の胸の中に抱き寄せてしまった。

「きっといい獣医さんになれますよ。不思議と動物には好かれますから」
「には、は余計だっつーの」

 ギルベルトの両腕が菊の腰へと回され、力が込められた。
 びしょ濡れのまま、髪や服を拭うことすらせずただ互いの熱を実感するために。
 それから間もなく、雲の切れ間から光が差し込み始め天使の梯子と呼ばれる現象が現れる――。

「知ってますか? 死んだ動物は虹のたもとにある楽園へ還るんだそうですよ」
「あいつも行けるか?」
「えぇ、もちろんですよ――」

 抱きしめていたギルベルトがもぞりと動き、不意に菊から離れた。
 様子を見ようと菊が顔を下に向ければ泣き腫らした目元はそのままに、それでも菊からの言葉を聞いてぎこちなくDanke、と言いながら笑った。
 同時に菊もまたぎこちない笑みを返し、そしてギルベルトの瞼へと口付けを落とした。

「……き、く?」

 驚く表情を湛えながらもギルベルトは嬉しそうに菊を抱き締め、はにかんだ。
 天使の梯子へと伸びるかのように空に虹がかかって――。


    ――― END ―――

【 初出:2012/07/15−Pixiv『 虹のたもとへ 』より 】