140字SSりくえすと編―08



●あの子を逃してから彼は糸をかけることを辞めた。誰よりも美しく、そして効率的にかけられる糸を。それは同時に本能に抗うことになる。けれど彼はそれでいいと結論づけた。一瞬だけ見ることが出来たあの子の笑顔――ただそれだけを胸に抱いて眠りにつけばいい。決して目覚めることのない夢の中へと。

●激しい飢餓感に襲われながらただ彼はじっと耐えぬいた。朝も、昼も、夜も。ひっそりと誰にも知られずに。永久の眠りに付く前に、と彼は閉じ続けていた目を開けた。最後にあの子に会えた美しい世界を見るために。ふわり、と空気が動く。怪我したあの子は泣きながら一緒に逝かせて、と彼の手をとって。

●いいのか、と乾いた唇でやっと言葉を紡げば私は貴方と共にありたかったのです――と返事が。馬鹿な奴だな、なんて言いながら彼はそっとあの子の体を抱き寄せ、包み込んだ。傷つけないようにそっと優しく。そして長い長い夢路へと旅立つために彼らは約束した。また出会って愛し合いましょうね――と。

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●痒いところに手が届くとまさにこのことか、なんて日本はぼんやりと痛む体で思った。お互いに仕事が忙しすれ違いが続いていたせいもあって久しぶりにプロイセンが我を通し執拗に日本を喰らった。その謝罪も込めてだろう、すっかり炬燵の住人と化した日本の考えを先読みし、あれこれと尽くしてくれる。

●腰だけでなく節々も痛くてたまらない日本にとってはありがたい。そしてときどき見せるこちらを気遣う表情は犬の耳と尻尾が生えているように見えて可愛くて仕方が無い。恋人であるプロイセンは無意識に日本へと萌を提供してくれる。特に今日みたいな日は殊更に。だから日本はつい絆され許してしまう。

●几帳面な恋人をありがたいと思いつつもここはやはり寒いですからね――と日本はプロイセンを呼びつけ座椅子代わりによりかからせて貰う。炬燵の上に置いてある蜜柑の皮を剥いて貰い、一房ごと食べさせて貰う。ケセセと笑いながらも聞こえる声が楽しそうで日本の心はほっこりし、こっそりと微笑んだ。

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●それはまだ恋人になって間もない頃だった。仕事で疲れ、疲労困憊気味な日本の元にプロイセンが訪れてしまったのは。遠路はるばる来て下さったのですから、とプロイセンをもてなそうとする。少しでも休め! と言うプロイセンの言葉には頑として受け入れられず、一息ついた途端日本は倒れてしまった。

●ふんわりと心地良い温もりと共に日本の意識は浮上した。布団の中でぼんやりと倒れてしまったのですね、なんて思考を巡らせていれば音もなく障子が開かれプロイセンが現れた。眉間に皺を寄せ顰めっ面をするプロイセンは日本が起きていることに気が付き、安堵の表情を一瞬だけ見せて布団の脇に座った。

●くしゃり――。いつもよりちょっとだけ荒く、けれど日本を気遣いながらプロイセンは日本の頭を撫でた。心配かけんじゃねーよ、爺め。そんな悪態をつきながらそれでもプロイセンの左手は日本の頭を撫で続けた。……爺が寄りかかった程度じゃ俺様は倒れたりしねーよ、なんて酷く優しい声を呟きながら。

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●未来は誰にも分からない。だからこそプロイセンも日本も互いに別離の挨拶を口にしなかった。ただいつかまた逢おう――とだけ約束したまま。固く握手を交わし抱き寄せて。互いの鼻孔を擽る相手の匂いに鼻の奥がツンとしながら二人は笑顔で背を向けあった。一度も振り返ること無くただ前を見るために。

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【 初出:2012/09/30−Pixiv『 140字SSりくえすと編―08 』より 】
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