名も無き森で



 不気味な形の木々は人々の恐怖心を煽り、薄暗い雰囲気に足をすくませる。
 人を拒むかのように深く、色濃く森は徐々に広さを増しながら生き続けていた。
 それこそ森の中心にある高くそびえ立つ大樹を中心に。

 森の近くには人里すら無い。
 それ故に森の中で息づく命たちは楽園にも似たこの森を大切に大切にしてきた。
 生まれ、育まれ、やがて森の一部として朽ちてゆく定めを頑なに守りながら。

 ――はっはっはっ!

 日が落ちかけた仄暗い森の中で一匹の獣が発する音が広がってゆく。
 腐葉土の上をしっかりと踏みしめながら力強く駆けてゆく一匹の獣がその音の主だった。
 星のささやかな光でさえその獣の体は銀色に光り、紅い眼は眼光鋭く光を反射し他者へ畏怖の念を与える。

 人狼族でさえ、狼の特色を色濃く残すために群れを作る。
 しかし成人した雄は群れから追い出され新たに自分で群れを作るまで独りで生きる。
 この森の王者として君臨してる人狼族の彼――ギルベルト――はその色彩(いろ)のせいもあって早々に独立せざる得なかった者だ。
 それこそ生まれて狩りの基本すら知らずにこの森よりも西の方に打ち捨てられた。
 名すら、己自身で考えつけたほど幼い頃に――。

 駆けていたギルベルトは顔を上に向け、風の中に流れてくる情報を嗅ぎ分けた。
 森の中であるはずのない血の匂いを感じたからだ。それも死にかけてそうなほど色濃く。

『――湖のほうだな?』

 人が気軽に近寄れる場所に無いはずの森なのだ、ここは。
 なのに先ほどからギルベルトが感じている血の匂いの主は明らかに人のものであったために細めた。
 この森には人を食らう者は居ない。同時にギルベルトも人には手を出さない。
 人に手を出して火を放たれ、住処を失った者たちを知っているからだ。

 再度、ギルベルトは大地を蹴って走りだす。
 南側にある湖の方から漂う血の匂いを辿りながら、闇に紛れながら。

 彼はまだ知らない。
 血を流し、死にかけていた人物が魔法使いであることに。
 そしてその魔法使いがギルベルトの番として末永く生き続けることを――まだ彼は知らない。


    ――― END ―――

【 初出:2012/07/11−TwitLonger『 名も無き森で 』より 】